三菱「パジェロ」次期型開発中止の観測が浮上した背景を探る

30~40代以上の読者で「パジェロ」の車名を知らない人は少数派だろう。三菱自動車が1982年から製造・販売する大型SUV(スポーツ多目的車)である。悪路走破性の高い本格的なオフロード4WD(4輪駆動)車として認知され、バブル景気やレジャーブームに後押しされて販売台数を伸ばし、1991年にはトヨタ「カローラ」などを抑え、国内月間販売台数で1位に輝いたこともある。

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そのパジェロの新規開発が中止へ――。
12月初めに一部で報じられたところによれば、三菱自動車は、2006年から展開する4代目パジェロの次期型に当たる新規モデルについて開発をやめ、今後はエコカーや中型SUVに開発資源を集中するという。この件について、三菱自動車は肯定も否定もしていないが、このような観測報道が出るほど、かつての栄光と今の苦戦は対照的だ。  初代パジェロが登場した当時は、苗場スキー場に年間300万人が訪れるなど、スキーブームの真っ只中だった。  当時、人気が高かったTBSのゲームバラエティ番組「東京フレンドパーク」では、番組の最後にゲストがダーツに挑戦するコーナーの豪華商品としてパジェロが用意されたことも有名だ。番組観覧者による「パジェロ!  パジェロ!」の大合唱を覚えている人も多いだろう。あの時代、パジェロは確かに主役の1台だった。. 人気を受ける形で、三菱自動車は軽自動車規格の「パジェロミニ」や、それと親パジェロ(当時はこう呼ばれた)の中間に位置する「パジェロイオ」を相次いで誕生させた。生産を担当する岐阜県の会社は、名称を東洋工機からパジェロ製造に変えた。今の自動車業界で重視されているブランド戦略を、日本車でいち早く導入した一例かもしれない。

ただパジェロは、単にブームに乗って売れたわけではない。
SUVとしては日本初の機構を率先して投入した、先駆の1台である。  
三菱自動車はそれまでジープのライセンス生産を行っており、オフロード4WDには豊富な経験があった。しかしジープはライセンス契約のために輸出できず、快適性を度外視したような作りは時代にそぐわなくなっていた。こうした事情から開発されたのがパジェロだった。  当初はジープ同様、4ナンバーの商用車登録で、トランスミッションはMT(手動変速機)のみだった。それが当時の国産SUVの常識だった。しかしその後、ほかに先駆けて5ナンバー車やAT(自動変速機)を導入。ディーゼルターボエンジンはトラック用ではなく、同社のセダン、ギャランΣ(シグマ)と共通だった。筆者も競合車と比較試乗したことがあるが、快適性では群を抜いていた。  「パリダカ」ことダカールラリーでの活躍も、人気を後押しした。初出場の1983年に市販車無改造クラスで優勝すると、3年目の1985年には早くも総合優勝を達成。  以降も優勝争いの常連となり、通算12度の総合優勝を記録するまでになっている。当時のパリダカはその名のとおり、パリをスタートしており、その影響で欧州でもパジェロ人気は高まっていった。
1991年に登場した2代目も先進的だった。4WDシステムは2WDと4WD、センターデフのロック/フリーを切り替え可能で、直噴ガソリンエンジン、ABS、エアバッグなどを、ライバル車に先駆けて導入した。2代目では「エボ」も登場した。パジェロ・エボリューションだ。パリダカ優勝という明確な使命のもと生まれた車種で、サスペンションを4輪独立懸架に換え、トレッドを広げ、ボディは迫力のブリスターフェンダーを装着。3.5リットルV6エンジンは当時の自主規制値上限の280ps(馬力)までパワーアップしており、砂漠を時速200キロメートルで安定して走れる性能を持っていた。この間、日本ではバブルが弾ける。にもかかわらず、3代目パジェロは商用車仕様を廃止し、ボディサイズは大幅に拡大。持ち前のオフロード走破性を堅持しつつ、フレームとボディを一体化したモノコック構造、四輪独立懸架サスペンションなどを採用し、高級乗用車としても通用する車種として開発が進められ、1999年に発表される。

しかし、3代目パジェロには逆風が吹いていた。
1997年にトヨタが送り出した「ハリアー」が、SUVの新しい流れを築きつつあったのだ。ハリアーは前輪駆動乗用車のプラットフォームとパワートレインを流用することで、腰の低いスマートなスタイリングを実現するとともに、舗装路での走行性能や快適性能で、既存の多くのSUVに差をつけた。  当初は懸念されたオフロードでの走破性も、その後の電子制御の進化によって、パジェロのような本格派にさほど劣らないポテンシャルを持つに至った。それ以前に多くのユーザーが、そこまでの性能は不要と見切って、デザイン優先でSUVを選ぶようになった。  レジャー人口の減少も、パジェロには逆風になった。1993年には1770万人だったスキー人口はスノーボードの登場で1998年には1800万人に達するが、その後は徐々に減少し、2013年には770万人と、20年間で1000万人も減ってしまった。
いつしかパジェロは「伝統的」という形容詞とともに紹介されるSUVとなった。しかし多くの日本車は、モデルチェンジごとにプラットフォームを一新することはなく、2回に一度のタイミングで刷新する。パジェロもそうで、2006年発表の現行4代目は顔つきを初代や2代目に近づけ、クリーンディーゼルエンジンを投入したが、プラットフォームは3代目を踏襲していた。

ゆえに流れを上向かせることはできず、
最盛期には8万台以上を記録した年間販売台数は、
2014年には約2000台にまで落ち込んだ。
これでは次期型開発中止の噂が流れても仕方がない。
しかし三菱自動車工業周辺の人間に聞くと、次期型の方向性が定まっていないというのが正直なところらしい。確かに進化の選択肢はいくつかある。ASEAN地域で人気の「パジェロスポーツ」の導入は考えていないそうだが、日本だけでなく欧州でも人気のアウトランダーPHEVとプラットフォームやパワートレインを共有する手法も考えられる。完全移行がリスキーであるなら、スズキ・エスクードのように新旧を併売することもできる。2013年に生産中止したパジェロミニについても、旧型のような専用設計ではなく、スズキ・ハスラーのように前輪駆動乗用車とのプラットフォーム共有という手法で復活するという噂がある。当然ながら日産自動車との共同開発となり、日産版も登場するだろう。つまり現行パジェロの次期型の開発がストップしても、違う形でパジェロが登場してくることは十分考えられる。パジェロのルーツといえるジープは、オリジナルの系譜を継承するラングラーを作り続ける一方で、フィアット500Xとプラットフォームやパワートレインを共有するレネゲードを発売し、人気を得ている。その一方でジャガーやベントレーなど、新たにSUVに参入するブランドも多い。
現代のブランド戦略とは、そういうものだ。
パジェロも時代の流れに合わせて、もっと柔軟に展開して良いのではないかという気がする。
toyokeizai.net

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by ganbaremmc | 2015-12-26 15:51 | 三菱自動車 | Comments(0)